代表取締役社長 加治 耕二1982年入社
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14番目の男、の
はじまりと今。父が工務店に勤めていて、子どもの頃から「職人」といわれる人たちが身近な存在でした。大工さんとか左官さんとか、腕ひとつで生きる姿がカッコ良くてね。「お前は学校で機械を学んだろ、地元に生かせる会社はないのか」と祖母にいわれて、面接を受けたのがここでした。
「今から会えるか」というのでポロシャツにジーンズ、ビーサンのまま会社へ行ったら「根性がありそうだ」と誤解されて(!?)採用になり、アッという間に40年です。当時はいちばん若くて、社内でも、お取引先でも鍛えられた『入社14番目の男』が、今では『社員80名とそのご家族、200社以上のお取引先に責任を持つ男』になって、あいかわらず四苦八苦しています(笑)。 - 「仕事も全力、遊びも全力」で駆け抜けた20代
- 自分の設計がプラントに「命」を吹き込む
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腕を上げるほどに
面白くなる。若い頃は、図面をコテンパンに否定されたり、「ボイラーの燃料にするか」なんていわれたこともあります。それでも『だめなものはだめ、いいものはいい』とハッキリした評価が好きでした。数字も図面も、結果がすべて。逆にいえば、結果を出せば、どこへ行っても、どんなに若くても、認めてもらえるんです。考えて、勉強して、図面を提出するうちに「?」だった反応が「!」に変化するのは爽快でしたね。アニメやゲームのキャラクターが、どんどん強くなっていくような感覚でした(笑)。狭い業界ですから、評判が広まって指名をいただいたり、紹介されたり…というのは、昔も今も変わりません。
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これからは、
君たちの時代。私は、Design City Japanを「100年企業にする」 と宣言しました。目的のひとつは、社員が高齢者になるまで働ける土台をつくるため。メシが食えない仕事は、仕事じゃない。社長として、社員とそのご家族が安心して仕事・生活ができる環境を追求することは当然の使命です。私はさらに「もっといい生活ができて、面白い仕事ができる会社にしたい」と考えています。
もうひとつの目的は、お取引先と一緒に、やりがいのある仕事を未来へつなぐ土台をつくるため。企業や業界を越えて、多くの日本のエンジニアが培ってきたノウハウを途絶えさせない、次代を拓く若い人たちに財産として渡して委ねることも「今も心は現役エンジニア」の一人として、心に誓っています。
この先を歩むのは若い人たち、あなた自身です。「これで行く!!」と自分で決めることが叶う設計の仕事、モノではなく自分のスキルを売る世界を大いに楽しみ、社会へ貢献してください。 - 時代は変わっても全社で「change & challenge!」
常に少数で挑むから精鋭になる。
我社の精鋭者たちは頼れます。
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